癒しの里 和じゅん
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運勢鑑定

先日、左前頭部の激しい頭痛に襲われ

脳神経外科に行ってきました。

母が亡くなる前から少しづつ違和感が

あったものの、ここ迄痛みが激しいのは

初めてでした。

瞬きする位で痛みが伴うので、最初は

顔面神経かなぁ、、と思っていたのですが

脳梗塞かも知れないと思い、近くの脳神経外

科を訪れました。

色々な問診の後、手足や目の動き、簡単な

動作をしたのですが、異常は見られません

でした。

CT検査をして画像診断をしましたが

血管にも異常は無い様でした。

結局、ストレスではないかとの事ですが

気が遠くなり、脳がえぐり出される様な

痛みは、ただのストレスとは思えないの

ですが、原因が分からない以上どうする事も

出来ません。

その日の夜でした、、、

夢か現実か定かでは無いのですが

私のベッドの上に数人の僧侶が

話し合いをしている姿がありました。

どうも、私の事で話している様でした。

私が起きようとすると、僧侶達の姿は

ありませんでした。

翌日は、鑑定日でした。

その日は、感覚が冴えており相談者を見た

だけで、何が問題なっているのか手にとる

様に分かりました。

まさに、験力が一段階上がった様な、、

そんな感覚です。

また、霊体についても良い霊なのか悪霊

なのか、嗅覚が冴えてきているせいか

見分けも付く様になったのです。

仏様は、私に何をさせ様としているのか、、

ですが脳の障害によって、不思議な力を

得た事になります。

でも、あまり使い過ぎると頭痛が酷くなる

事も判明致しました。

加持祈祷や護摩供養の中で得た験力が

さまざまな奇跡を起こしましたが、この

現象は、新たな試練を迎えたのかも知れ

ません。

コロナ禍や自然災害、、あらゆる想像も

付かない事が日々起こっている中で、私に

しか出来ない事を仏様が命じられたのかも

知れません。

当面は、この頭痛と向き合う事になりますが

この不思議な状況を見守って行きたいと思い

ます。

秋田駅前にて

 

 

オリンピック開催、、あまり選手や関係者

の報道がない上、今日から東京では緊急事態

宣言が発令されました。

また、国と自治体との連携が取れていない

事でワクチン接種の混乱を招いています。

オリンピックを開催後、何が残っているの

か、、、いずれにせよ、私達の今後にも大き

な影響を及ぼす事は、間違いありません。

さて、先日の豪雨で静岡県にて大崩落があり

沢山の方々が行方不明になり、お亡くなりに

なられたとのニュースを拝見し、自然災害の

恐ろしさをまざまざと見せつけられました。

盛土による人災とされる意見もございますが

ここ数日間の雨量は、今迄に経験した事の

無い集中豪雨と言えます。

災害でお亡くなりになられた方々、、並び

にご家族の方々には、心よりご冥福をお祈り

致します。

合掌

 

 

6月13日am10時、天台真盛宗盛安寺本堂にて

白井美智の四九日法要を執り行いました。

享年82歳でした。

朝から激しい雨が降っていましたが、本堂で

読経が終えた頃には、雨がやんでいました。

母は、花が好きでしたので前日に知人に

お願いして、沢山の色とりどりの花を用意

して頂きました。

住職が

「お母さんが我々の為に雨を止めてくれたん

かなぁ、、」

と言われ

「助かりました、、」

と言いながら、骨壷から遺骨を白袋に入れ替

え、納骨しました。

骨壷を直接入れるところもあるみたいですが

こちらでは、白袋に入れる事になって

います。

中に手を入れると、10年前に亡くなった弟

や7年前に亡くなった父親の白袋が黄ばみ

ながらも残っていました。

母が好きだった弟の白袋を挟む形で白袋を

入れてやりました。

「お母ちゃん、これで皆一緒になれたな

ぁ、、それから僕の写真や家族の写真入れ

ておくから、あの世で見てなぁ、、」

と、話し掛けました。

今日迄、両親そして弟に対する自責の念

はあるものの、どれだけ悔いたところでどう

する事も出来ません。

「あの時、もっと優しくしてやれば良かった

、、話を聞いてやれば良かった、、良い先生

を見つけて受診させれば良かった、、」

情け無い言葉が次々と頭を駆け巡るのです。

その時でした。

「大丈夫やでぇ、、」

と耳元で母の声がした様な気がしました。

その瞬間、身体中が温かいものに包まれた

感覚になりました。

「お父ちゃんもお母ちゃんも大丈夫やでぇ。

光男も怒ってないで、、お前の力で弱い人

を助けたり、、」

その様に母が言った様に思えました。

私は、相談者に過去の失敗を問うのでは

無く、今の努力が大切だと説いて来ました

が、まさか母に励まされるとは、、、。

母が亡くなり今日迄、何故か涙が出てこなか

ったのですが、その言葉を聞いた瞬間、側に

住職がいらっしゃる前で私は、大粒の涙を流

しながら、、

「有難う、お母ちゃん、、」

と号泣しながら母に別れを告げました。

 

 

 

 

母が亡くなり、早四九日を迎えました。

生前、色んな事がありましたがその一つ

一つを思い出す度に、後悔と自責の念に駆り

立てられます。

母の介護には、3年付き合わされました。

月日が経つにつれ、介護のストレスからか

母を叱責したり、子供扱いにしたり、食事

も冷めた弁当を食べさせたりと、、

私の介護生活に点数をつけたなら、減点

ばかりです。

度重なる転倒で大怪我をする母、、

いよいよ介助無では、歩く事が出来なくなっ

た母の状態をみた担当ケアマネージャー

さんは、、

「ミチさんを、これ以上一人にしてあげる

事は困難ですから、施設を検討されたら

いかがでしょうか、、」

と聞かされた時、私は内心ホッと致しまし

た。

ですが、本当に介護の限界を迎えたの

か、、

日頃慣れ親しんだ家で最期を迎えさせて

やる事は出来ないのか、、

母は、私の事を恨んではいないだろうか、、

そんな事を考えながら、昨年7月に本人の

意思を十分確認しないまま、知人の紹介で

大阪の介護老人ホームに入所させました。

「お母ちゃんの事考えたら、施設しか

アカンといわれたし、入所してもええか」

と言うと、、

「私は、大丈夫やぁ、、」

と笑顔で言ってくれていましたが入所前に

母の見舞いに来られた方には

「施設には、入りたくない、、」

と話していた様です。

後で聞かされた時は、胸が張り裂けそうな

気持ちになりました。

入所して間もなく、母やその同じ階の

入所者に対し、職員が虐待したと母からの

証言が有り、、

「帰りたい、、帰りたい、、」

と涙ながらに電話で私に訴えました。

施設長には、対策を講じて頂きましたが

お母様は、ボケてらっしゃる、、

職員がするはずがないなど、まともに

話を聞いてもらえませんでした。

母は、施設や職員の不信感は拭いきれず

その後も私に帰宅したいと懇願しました。

私は、母を受け入れて下さる滋賀の施設を探

しましたが待機者も多く、直ぐに入所できる

ところは見つかりませんでした。

それから携帯電話による励まし作戦がはじ

まりました。

「お母ちゃん、毎日僕に電話しといで、、

電話してたら、職員も意地悪できんやろ、、

いつでも電話しといで、、」

と、母に伝えました。

すると、母から毎日の様に電話がかかって

きました。

「今日のご飯は、美味しかったか?今日は

何して過ごした?意地悪な職員はいるか?

よく寝れてるか?」

多い時には、10回〜何度も母から私の

携帯電話にかかってきました。

ときには、夜眠れないのか夜中の2、3時にか

かってきたりもしましたが

「おはよう、朝早いなぁ、、お母ちゃん

まだ、お日様上がってないし寝させて、、」

といいながら母と早朝迄会話致しました。

でも、その様な生活が半年位続いた頃

母の持病の心不全が悪化し、入院生活に入り

ました。

先生は

「お母様は、これ以上良くなる事はございま

せん。出来れば、療養型施設に入所してみて

はいかがでしょう、、」

とご提案を頂きました。

その後も母は、入退院を繰り返しましたが

3回目の入院した時に受け入れ先の施設が

見つかりました。

地元滋賀の療養型施設で以前リハビリで

お世話になった施設でした。

その事を母に伝えると

「ホンマか!帰れるんかぁ、有難う、、

有難う、、」

と子供の様に喜んでくれました。

ですが、母と交わした会話はその言葉が

最期となりました。

病院に駆けつけた時には、意識はなく

そのまま、息を引き取りました。

つづく

 

令和3年4月27日19時47分に

母美智は、入院先にて亡くなり

ました。

享年82歳でした。

ブログにて、幾つか母の事を掲載

致しましたが、今となっては母や

母をご支援下さった方々には、感謝

の言葉しか見つかりません。

改めて、本当に有難うございました。

ついては、5月、6月の和順庵道場での鑑定

を休ませて頂きます。

ご理解の上宜しくお願いします。

お問い合わせ、メール鑑定は通常どおり

受け承っておりますので、引き続き宜しく

お願いします。

合掌

 

 

都市部を中心に緊急事態宣言が

発令されました。

和順庵におきましても、5月の鑑定は

休業させて頂きます。

休業期間は、下記の通りです。

ご予約のお問い合わせを下さった方々

には、重ねてお詫び申し上げます。

合掌

庵主 白井和順

休業期間

令和3年5月1日〜31日迄

 

その日は、お客様の依頼で上賀茂神社と

晴明神社を参拝致しました。

3月に鑑定したお客様が新築をされた

ものの、ご主人が病気されたり、本人は

交通事故に遭われたり、娘さんは離婚

され子供を連れて実家に帰って来たりと

不幸続きでしたので、新築した土地に

問題があるのでは、、と当道場にお見えにな

りました。

早速鑑定しますと、ご主人の先祖のところ

に未成仏の陰があり、その土地も両親の

持ち家だったところを取り壊し新築された

様です。

気になったのは、動物の気配も感じられた

事でした。

奥様に事情を聞くと、昔稲荷を祀っていたの

を地元の神主に依頼してお祓いして取り壊し

た様でした。

確かに稲荷なら動物霊として出てきても不思

議ではないですが、私には別の存在の様に

思えました。

御祈祷と護摩供養をさせて頂きましたが

土地に問題があるかも知れないので、家相

地鎮の神として有名な上賀茂神社と晴明神社

を参拝したのでした。

晴明神社で友人に写真を撮って頂いたのです

が、その一枚に不思議な写真が写し出され

ました。

よく見ると、合掌している仏様と複数の霊体

と、キツネや狗らしきものが写っている様に

も見えます。

そして、この白い影ですが、蛇の様に思えま

した。先日ご依頼くださった奥様のお宅は

蛇にまつわる何らかの影響を受けていると思

い供養の際、生類の供養を致しました。

その後奥様からは、平穏に暮らしている

とのご連絡頂きました。

皆様には、どの様に見えたでしょうか。

晴明神社にて

 

 

 

皆様、コロナ禍の中いかが

お過ごしですか。

関西を中心に感染増加の傾向にあり

全国に広まりつつあります。

その影響で飲食関連を中心に

時短営業や対象区域での往来自粛など

旅行業者、イベント業、カラオケ等に

従事されている方々には、厳しい日々を

過ごす事になりそうです。

今一度踏ん張って下さる事を心から祈念

申し上げます。

さて、私ごとですが施設に入所している

母が再び入院致しました。

何度かこのブログにも掲載致しましたが

いよいよお迎えがきたのかと、いつも覚悟

を決めておりましたが、今回は流石に厳し

ようで、肺に水が溜まり内臓機能も低下し

意識が無い状態と言われました。

どんな状況に有ろうとも、3月30日早朝

母の為に護摩供養を致しました。

護摩木の炎は真っ直ぐに立ち上り、まるで

龍が天に昇っていく様にも見えました。

4月2日墓参りに行って掃除していた時

病院から電話が入りました。

とうとう来たかと、、覚悟をきめましたが

「お母さんの容態は、大分良くなられまして

意識もしっかりしています。退院は、来週に

なりそうです。」

との連絡が入りました。

また、亡き父が救ってくれたんだなぁと

思い、お経もいつもより長く唱えました。

私の様に、親が入院しているご家族も

いらっしゃると思いますが、コロナ禍

では、本人がもし危篤になったとしても

会う事は勿論の事、看取ってやる事すら

出来ません。

今回ばかりは、不動明王の験力には

驚かされるばかりです。

有難うございました。

合掌

京都上賀茂神社にて

 

 

 

 

 

 

首都圏のコロナ禍による自粛規制が

解除になりました。

東京オリンピックを前に悩ましい決断

と思います。

皆様がこのような立場だったら、どの

様な決断を下したでしょうか。

今まさに政治力が試される時です。

 

さて、皆さんは紙一重という状況を感じた

事はございますか。

私は、日々感じております。

先日、地方の鑑定会でAさんのご主人の

会社が倒産して、自宅が競売にかけられた

との事、、現在、ご主人は体調を崩され

入院されている様です。

以前、鑑定にお見えになったAさんのご主人

が経営されていた会社のお話しでした。

会社は、同族会社で確か長男も専務をやられ

ていたと記憶しております。

結婚した娘さんも経理を担当していて、Aさん

は専業主婦だったと思います。

もうAさんを鑑定したのは3年前になると思い

ます。

当時、主催者の勧めで鑑定を受ける事になっ

たAさんは、あまり関心が無かった様に思い

ました。

ですが鑑定に入ると、ご主人の状態がおもわ

しくなかったので、ご主人の事を尋ねると

健康も仕事も至って良好との事、、ご主人の

会社も右肩上がりと言われていました。

娘さんも昨年結婚して今が一番幸せであると

おっしゃっていました。

私には、ご主人の経営状態は彼女が言うほど

余裕がある様には思いませんでした。

むしろ、見栄を張っている様にもみえまし

た。

ですが、それ以上の事は言えず鑑定を終えた

のですがあの時、もう少し私の話を聞いて下

されば、色々な手立てがあった様に思いま

す。

また、コロナ禍もあり更なる苦境に立たされ

たのだと思いました。

その後Aさんは、どうされたのか、、、

今幸せであっても、いつ不幸のどん底に

落ちるかは、まさに紙一重と言えます。

「先生、私の娘がギリギリで進級しまし

た。」とか、「試合に僅差で勝つことが出来

ました。」など、お子様の成長を見届ける親

御さんの姿をお見受けしますが、これ全てが

紙一重という事です。

人生は、全てが完璧に生き抜く事は不可能

です。

今日は、たまたま受かった、、勝つことが出

来た事に意味があるのです。

先のご主人も、いつも紙一重を認識していれ

ば見栄を張らず、家族との向き合い方も大き

く変わっていたのでは無いかと、思えてきま

す。

苦しみや悲しみは、誰の人生にも訪れます。

あるがままを受け止める事も大事ですが、、

ここは、人間界、、、もがき苦しみ這い上が

る、、、泥くささがあっても良いと思いま

す。

生きていれば、何度でもチャンスがありま

す。

挫けそうになったら、貴方の心根でどちらに

も進んで行きます。

諦めず、挫折する事なく、挑戦し続ける事に

人間としての生きる意味がございます。

和順庵にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事で広島に来ました。

少し早く着いたので、駅前のホテルに

チェックイン後、広島の街並みを散歩

しようと思い出発したですが、気付いたら

原爆ドームに足が向いていました。

駅前からだと、結構な距離に思えたの

ですが、散策するつもりが周りの景色を

覚えてなく、ただひたすら原爆ドームを

目指していたようです。

到着してすぐさま、終戦記念日に何度も映像

でながされる慰霊碑に向い、観光客をはばか

らず心経を唱えました。

その後、川辺沿いを散策し世界遺産

原爆ドーム前にきました。

平日でしたが、若いカップルや友達同士

で写真を撮ってる姿が結構見られました。

その光景に日本は平和になったんだと、、

戦争の悲惨さを知らないくせにその様に

思えました。

川辺を見ながら佇んでいると一瞬、、

後頭部から温かい風が当たった感触が

ありました。

すると次の瞬間、当時の映像が私の脳裏に

映し出されました。

空は赤く染まり川には、景色が反射され

川面が赤く染まっていました。

道には、おびただしい砂利に覆われ

熱風が吹き荒れる中、当て所なく歩く

人やうずくまる人、、死体に寄り添う人、、

我にかえった時には、辺りが薄暗く

なっていました。

以前に行った、原爆資料館の思い出が

蘇ったのか、、。

帰りは商店街を通り帰る事にしました。

卒業シーズンなのか、若い人達で賑わって

いました。

裏道に入ったところで、以前なら飲食を

されていたであろう店舗が空き家になって

いて、これも新型コロナの影響だろうと思い

ながら駅前迄帰ってきました。

私が見た幻想は、人間界の表裏の姿を

仏様が表現下さったと思っています。

一つ間違えば地獄絵図をみる事になる

事を表現されたのかもしれません。

そう思うと、人間は二度と過ちを犯して

はならないと強くおもいました。

新型コロナも、自然界のものでなく

人間の探究心から溢れ出たものと

思っています。

それと同時に、今生かされている事に

感謝しながら命ある限り、努力精進

しなければならないと強く心に誓うの

でした。

原爆ドーム前にて