癒しの里 和じゅん
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修行

11月30夜半から12月2日早朝にかけて

護摩供養をしておりました。

ご連絡やお問い合わせをくださった

方々には、大変ご迷惑をお掛けしました。

12月は、年越し護摩供養を致します。

これからも、宜しくお願い申し上げます。

合掌

ラグビーワールドカップ

日本の活躍に胸が熱くなりました。

人を活かす為にプレーする姿は

私達人間界で最も重要な行いであり

まるで菩薩行を見る様です。

その一つ一つのプレーに明日への活力に

なった方も沢山居たと思います。

日本代表、感動有難うございました。

 

さて皆さんは、死んだら何処に

行くのか、、考えた事は有りますか?

地獄、天国、仏の世界、、

普通なら仏の世界、つまり成仏すると

お考えではないでしょうか、、。

はたしてそうでしょうか?

先日の台風被害に遭われて亡くなった

方が即仏の世界にいくのでしょうか、、、。

苦しい、哀しい、未練、、、

もし私が仏なら

「この世に未練があるのなら、もう一度

人間界でやり直しなさい。」

と言うかもしれません。

お釈迦様は、修行当時全ての事を覚り

この世に未練がないことから、生きる

事よりも死ぬ事を選択されました。

ところが、その様子を須弥山(仏の世界)

から見ていた梵天が、お釈迦様の眼前に

現れ、、

「貴方の覚った事を他の人達にも伝えて

やって欲しい。」

と懇願されました。

また、お釈迦様が80歳で入滅される時には

「この世はなんと甘美な世界である。」

と言われ入滅したと伝え聞きます。

つまり、十分この世でやり尽くし

悔いのない人生を送られた方が

仏様の世界に近づくものと考えます。

但し、好き放題しながら我がままな

生き方をされた方は別格です。

あくまでも、お釈迦様が覚った教えに

沿って生きなければ成仏しません。

この事からこの世で悔いなく生きる

努力が次のステップへ進める様な

気がします。

お釈迦様は、自分の弟子であっても

何億年後、仏に仕え生まれ変わりを

繰り返し、必ず仏になるとお経の

中で言われています。

お釈迦様のお弟子でさえ、それだけの

期間が要するなら、私達の様な凡人は

一生涯なれない様な気がします。

では、今の生活が嫌で死にたいと

思っている人は、どうしたら良い

のでしょうか、、。

この社会は苦しい世界、、

だからと言って周りに迷惑をかけ

自分勝手に生きるのは、負の

スパイラルから脱出する事が出来ません。

以前の様な生活が出来なくとも

見栄や世間体を捨て去り、全ての根源を

捨て去れば、いつでもスタート地点に

戻る事ができます。

プライドや恐怖と言ったものは

貴方自身がつくり出した幻影です。

見る角度を変えてやれば、いつでも

生まれ変わる事が出来ます。

諦めず来世の自分の為にも

幸せを願って努力する事が

今あるべき姿ではないでしょうか。

大護摩供養では、幾つもの不思議体験を

しました。

死に方に問題のある霊魂が

護摩壇の周りに座られた時

こちらまで哀しい気持ちが

伝わってきました。

生きている時に、もっと努力していれば

良かったと、、その様な気持ちが伝わって

きました。

死んでも楽な世界は待っていません。

この世で満足出来ない人は、あの世でも

満足しません。

生きて、生きて、生き抜いて、その先に

ある自分の役割を果たし、悔いの無い人生

を歩む事が出来れば最高の死を迎える事が

できるのです。

追求し行き止まりになる迄

志しを諦めない事です。

失敗を恐れてはいけません。

生きていればゲームセットでは無いのです。

貴方にしか出来ない、貴方の役割を

果たすべきです。

役割とは、、、

それは、貴方の目標であり志しであり

夢と言っても良いでしょう。

でも、それらの役割は自分だけの

ものだけでは、本当の役割とは

いえません。

日頃の感謝に報いる為に、貴方の

役割を見つけなくてはなりません。

 

次回つづく

籠山修行明け朝の風景

 

 

 

 

 

 

 

 

前回に引き続き、大護摩供養の事を

掲載致しました。

行者は仏と一体化し、施主はじめ

過去、現在、未来のあらゆる事象

を供養致します。

本来、神仏を降臨願う儀礼的な

ものと思っていた私は、大きな誤解を

していた事に気付かされました。

そして、護摩供養によって大変な領域に

足を踏み入れた事を改めて感じました。

今回の様な大護摩供養は、早々に出来る

ものではありません。

体力、気力、そしてあらゆる欲望を

捨て去り仏と向き合わなくては

なりません。

でないと、仏は降臨しないと思いました。

降臨されなければ、ただの儀式儀礼に

過ぎないのです。

儀礼的にしてしまえば、施主の願いや

あらゆる事象を聞き入れてもらえない事を

この3日間の修行で理解出来ました。

そして、それは施主も同じであると理解して

欲しいのです。自分の為に行者が祈願しても

らっているから、自らも良くなりたい気持ち

を強く持って貰いたいのです。

かれこれ、護摩供養は10年近く続けていま

すが、これ程仏に近づいた事は、、、

はじめてかもしれません。

理趣経にある様に、何とも甘美な感触

というか、自分が断食している事や不眠

不臥(寝ない、横にならない)でいる事を

忘れる位、快感を覚えるのでした。

今迄に感じた事がない感触です。

経本を見ながらやっていても、いつしか

記憶がない程、時間が過ぎていて、気づいた

時には、仏様にお帰り頂いていました。

これは行者の方しか、理解出来ない

現象であり摩訶不思議としか言い様があり

ません。

不動明王に降臨して頂いた時は、仏の凄まじ

い圧力に吹き飛ばされそうになり、また仏の

後ろから得体の知れない者が続々と降臨して

きました。これは、不動明王の眷属はじめ、

沢山の帰依する者と思いましたが、中には成

仏しきれていない者も含まれていました。

護摩供養を始めた途端、沢山の跪く音が

しました。

その数、数百とも数えきれない程の者達が

護摩壇を取囲む様に座られたと思います。

これは、成仏しきられていない者が、仏に

懇願している様におもえました。

その時でした。釜の炎が天上高く迄舞い上が

りました。

一瞬、周りの気配がなくなったと思いきや

また、一人二人と、跪く音がしました。

お経の中に、お釈迦様が仏の世界について

語られているところがあります。

「仏の世界の門戸は広く、どんな人間でも

通れる様になっているのだが、ここを通る

人間は、ごく僅かな人間しか通らない」

と言われています。

何故通れないのか、、。

何故成仏出来ないのか、、。

それは、死ぬ事や仏の存在を理解していない

からではないでしょうか。

次回続く

 

 

 

10月に入りましたね。

消費税が10%になり私達の生活にも

少しずつ影響が出るかと思われますが

皆様は、いかがお過ごしですか、、。

特にご商売をされている方々は大変な

ご苦労があったかと思います。

 

私は、9月28日〜10月1日明方に掛けて

到彼岸大護摩供養の修行を致しました。

3日間護摩供養、ご真言を唱え続けるなど

私の年齢には、荒行となりました。

夜の8時以降は、防災上から護摩供養が

出来ず、そこから翌日3時迄ご真言を

唱え続けなくてはなりません。

一日5カ座の護摩供養は、和順庵では

かなりリスクを伴うほど、堂内には

煙が充満致しました。

なので、煙を外部に放出するのに1時間

近くかかりました。

10月1日6時頃に終わった時には、身体が

護摩供養の炭によって真っ黒になり

すぐ様、お風呂に直行しました。

でも、身体の方の代償は大きく、、

以前、罹った難病が悪化した様に思われま

す。

手足の痛みが酷く、鉛筆を持つのが困難な

位、痛みがあります。

早速、1日にご相談者の予約が入っておりまし

たので、痛みどめのトンプクを飲み少しはマ

シになりましたが、翌日は身体が動けない

位、身体全身に痛みを伴いました。

それだけ、今回の大護摩供養で祈念された

方々の思いや悩みの度合いが、あまりにも

大きかった事をつくづく感じられた行でも

ありました。

今回の供養では、不思議な現象が沢山発生

しましたので、詳細については次回のブログ

に掲載致します。

大護摩供養では、近隣の皆様はじめ応援下さ

った方々には心よりお詫びと感謝申し上げま

す。

今は、体調回復にむけて養生させていただき

ます。

合掌

到彼岸 大護摩供養 和順庵にて

9月28日〜30日迄、修行の為

和順庵をお休みさせて頂きました。

ご連絡を頂いた方には、繋がらない等の

ご不便を掛けた事や、近隣の方々には昼夜に

渡り物音をさせた事など大変ご迷惑になった

事を心よりお詫び申し上げます。

本日から通常通り当庵を開けておりますので

宜しくお願いします。

合掌

和順庵 庵主

白井 和順

 

 

8月15日から17日に掛けて、お盆の

法要(棚経)に千葉県長南町に行ってきまし

た。

通常なら滋賀から車で行ってましたが

今年は、JRを乗り継ぎ行く事に

致しました。

駅前でレンタカーを借り、それを

使って棚経(たなぎょう)をしました。

一日、60件から70件をこなし、、

普段閉めきった部屋に通され、、

滝が流れる様な汗をかき、、

何とか無事終える事が出来ました。

棚経(たなぎょう)とは、お盆の時お坊さんが

一軒一軒回って、先祖を供養する事を

言います。

いつもながら思うのですが、、

この長南町だけなのか、、

風習なのか、、、

立派な家なのにティッシュにまいて

お布施をされる家があります。

また、仏壇を祀っている家は少ない上

お位牌や質素な作りの、備えつけスペースだ

けのお家を多く見受けられました。

仏壇のある家もございますが、小さな

仏壇ばかりです。

一番驚いたのは、数珠を持たない事である。

何故その様になったのか、、

これは、先代の僧侶からその風習は

変わっていないとか、、。

こんな風習は変えていかれたらと

思うのは、私だけでしょうか、、。

田舎特有の流儀とでも言わんばかりで

ある。

布施袋、数珠位は最低持って頂きたい

ものです。

楞伽経(りょうがきょう)というお経の

中に、数珠の事が伝えられています。

昔、お釈迦様のいた時代、世の中は

国と国とが争い、戦争ばかりして

おりました。

そんな折、お釈迦様が訪れた街は

見違えるほど、平和な街に激変したのです。

民衆は、お釈迦様が一生この街に留まって

頂ける様に、街中の人がお釈迦様に懇願

致しました。

でも、お釈迦様は

「私を待ち望む民の為に次の街に行かねば

ならん。私の教えを実践すれば、必ずこの

街は、幸福になるだろう。」

それでも民衆は、何とか留まって頂く様

お釈迦様のもとを訪ね、途切れる事が

無い程、懇願する人の列は絶えません

でした。

するとお釈迦様は、108粒の玉に連なった

物を出され

「これを一粒づつ数えなさい。2万回数えたら

菩薩の境地に達するだろう。菩薩とは、人の

為に生きる事が出来る。10万回数えたなら

私の様に仏の境地に達するであろう。

仏とは、苦しみのない世界をいう。」

その様に言われて、お釈迦様は街をあとに

致しました。

私も、護摩供養の時は、不動明王真言を

千回数えますが、2万回は、、、

普通の人では、中々至難の行と言えます。

皆さまも、一度チャレンジされては

いかがでしょう。

和順庵ご本尊

 

 

 

 

 

 

 

皆様

明けましておめでとうとございます。

31日夜半から新年1日にかけて
護摩供養を致しました。
和順庵開庵以来、自由に護摩供養
出来るので、技術的にも
上達している様に思われます。
技術よりも、身体が自然に動くと
いった感じです。

天台密教で学んだ事は、息災延命を
主とした加持祈祷に限っていて
密教行者としては、やはり真言密教に
辿り事に至りました。
私のスタイルとしては、護摩供養に
よって、諸仏と向き合う事が理想的と
思われます。

昨晩から焚いた護摩供養は
気づいてみると護摩木を600本
焚いておりました。
予備の段木も使い果たしたので
本日はここまでとなりました。
新年早々、親戚に護摩木用の
スギの木とシキミを頂きに
行かなくてはならない様です。

皆様が幸せに暮らせます様
心から祈念いましました。

煙が立ち込める中、先程新年の飾り付け
が終わりました。

2019年スタートです。

合掌

和順庵護摩壇


先日、千本護摩供養を終え新たな挑戦に

向けて体力づくりに励んでいます。

まだまだ、病気の事もあり完全とは言えま

せんが、私には使命感の様な気がしてなりま

せん。

自然と次の目標に向けて身体が動いてしまい

ます。

次回挑戦するのは、3千本護摩供養です。

天台宗で3千と言えば、一念三千と五体投地三

千仏礼拝行が挙げられます。

一念三千を説明するには、このブログを2週に

渡って書き上げる事になるので省略いたしま

す。

要は心の世界によって人の赴く世界が3千ある

と理解して下さい。

仏や菩薩の清い心であれば、幸せの世界に赴

く事が出来ますが、地獄や餓鬼畜生の醜い心

を持つと地獄の様な苦しみの世界から抜けだ

せず、絶望の世界に堕ちていきます。

私たちは常に心の葛藤と戦っていると言って

も過言ではないのです。

五体投地三千仏礼拝行は、字の如く三千もの

仏様に礼拝します。

礼拝と言っても五体投地というやり方で礼拝

するので肘や膝の皮が剥け、次の日は筋肉痛

になる覚悟がいります。

修行時代、一心不乱に礼拝行を致しましたが

当時は体力もあり、そんなに苦痛とは思いま

せんでしたが、今この行をやれと言われたら

ちょっと躊躇するかもしれません。

さて、本題に戻りますが三千本護摩供養は

今年中に実現したいと思います。

行者の中には、1万本や10万本の護摩供養を達

成した行者がいます。

天台宗には、千日回峰行という命がけの修行

がございます。

それは、超人的な人間でしかなし得ないとも

言われています。

その荒業を成し遂げた行者は生き仏といわれ

その行者に触れるだけで、苦しみから救われ

るとも言われています。

行者は、荒業の際に10万本の護摩木を休みな

く焚かれます。

それは。まさに不動明王と一体となり人間の

域を超える程、灼熱の中で行われます。

私の場合、せめて1万本を焚ける行者でありた

いと思っています。

 

青森県大間にて

 

 

 

 

 

炎は瞬く間に上がり煙が道場に

たちこめました。

次に、仏様に食事をして頂く為に釜の中に

五穀、白米、京米、芥子、胡麻などを投入

します。

それ以外にも樒、丸香、散香といった芳しい

匂いがするものも投入します。

つぎに、護摩木が勢いよく燃える為に、油を

注ぎます。

その意味合いもあると思うのですが

香りといった意味合いもあると思います。

樒を投入すると、ハッカやミントの様な

清々しい匂いがしたかと思うと、五穀や白米

油を投入すると、香ばしい匂いが致します。

そして行が進むにつれて、これらの匂いが

一体となり、いよいよ仏様の懐に入らせて

頂きます。

私の場合、前作法入れて2時間半位かかるの

ですが、今回の千本護摩供養では、途中休憩

を入れたりしたので、結局5時間を

要しました。

衣類や法衣は汗ばみ、肩の痛みもあって

休憩の際、作務衣に着替える事にしました。

寺や護摩道場なら、連続して焚けたと思うの

ですが、和順庵は民家を改装した程度ですの

で、設備や場所的な事を考えると大きな炎を

あげる事は危険に繋がります。

いよいよ、終わりに近づきました。

この時ばかりは、身体の痛みを忘れさり

ただただ、仏様と向き合っていました。

仏様にお帰り頂き、後作法を終えた時には

心からスッキリした気持ちと、大きな目標を

成し遂げた気持ちになります。

今回、身体が完璧な状態では無かったのです

が無事、終えられた事に感謝しつつ仏様の

不思議な験力を頂いた様な気がします。

南無大聖大悲不動明王悉地成就

(なむだいしょうだいひふどうみょうしっちじ

ょうじゅ)

今回の千本護摩供養は、仏様と長い時間

会話をさせて頂いた様な、本当に良い供養を

させて頂きました。

また、補助の同志のチカラが無ければ達成

出来ませんでした。

後にも先にも感謝しかごさいません。

和順庵護摩道場にて

 

 

 

 

 

朝の4時に起床し、身支度と共に護摩木を千本

を整え、護摩壇の準備にかかりました。

樒をはじめ、五穀やお供え物を配置し

いよいよ、千本護摩供養の修行に入らせて

頂きました。

炎の熱さで未だ癒えない私の身体は

最後迄、もつのだろうか、、、

不安と緊張感の中、静かに始まりました。

護摩壇の釜は、よく炊いても300本が限度と

見て、計画では3回に分けて焚く事に致しま

した。

補助の方には、出来るだけ護摩木を釜の中に

おとしてもらい、出来るだけスペースを作っ

て頂く様に指示しました。

いつも思う事ですが、最初の火入れが上手く

いかないと、綺麗に炎が上がらない気がして

この時ばかりは、なんとか炎が上がる様に心

から願うのでした。

修行時代は、何度しても上手く焚けませんで

した。先達のお話では、護摩木の積み方や火

入れの角度など言われましたが、結局分かっ

た事は、場数を踏む事と決して慌てない事で

した。

これは、どんな世界でも同じ様に思えます。

火が灯らないといった初歩的な事は無くなっ

たものの、未だに思うという事はまだまだ

心と身体に余裕をもって護摩が焚けていない

証拠、、。

全てが川の流れの様に、よどみなく護摩供養

が出来たなら、その時こそ仏様の懐に入り、

自らが不動明王のごとく、慈悲の救済者と

なっているのだと、あらためて自らの修行僧

としての未熟さを感じるのでした。

和順庵千本護摩供養