瑠璃太子は、少年のころ、釈迦国に留学しましたが、
生母が貴族でないためにカースト制度によって徹底的
に差別されます。瑠璃太子は王位に就くと、その屈辱
を忘れず、軍を率いて釈迦国に進撃を始めました。そ
のことを耳にされた釈尊は、コーサラ国から釈迦国に
つづく街道に行かれ、一本の枯れ樹の下で坐禅をされ
ました。
街道を進軍して来た瑠璃王は、
「世尊よ、ほかに青々と繁った樹もあるのに、なぜ枯
れ樹の下に坐っておられるのですか?」と尋ねました。
「王よ、親族の陰は涼しいものです」というのがその
答えでした。釈尊は、その枯れ樹が釈迦族のシンボル
的な樹であることから、釈迦国への愛情を表明された
のです。
それを聞いた瑠璃王は「遠征の時に沙門に会ったら兵
を返せ」という言い伝えを思い出し、軍を引き返しま
した。しかし瑠璃王の怒りは、それでもおさまらず、
三度軍隊を派遣します。四度目、コーサラ国王が軍を
進めたとき、釈尊の姿は見られませんでした。瑠璃王
軍は釈迦国に攻め込み、ついに釈迦国を滅ぼしてしま
いました。
釈尊は、釈迦国の滅亡を救うために坐禅を三度されま
したが、武器を取って争うことはされませんでした。
ここに釈尊の「武力で争うべきではない」という平和
主義をみることができます。また、法句経(ほっくき
ょう)で釈尊は「まこと、怨みごころは、いかなるす
べてをもつとも怨みをいだくその日まで、この地上に
はやみがたし。ただ怨みなきによりてこそ、この怨み
はやむ。これ易(かわ)りなき真理なり」と言っていま
す。味わうべき言葉です。

伊丹に向かう機内にて